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2018年11月10日(土曜日)。
先週に続いて、今週も新しいメンバーの皆さんと谷中から散歩をしてきました。
前半は谷中商店街を抜けてから旧藍染川の蛇道を歩いて、上野大地にある江戸屋敷跡をブラブラしてから根津神社へと散歩。
そしてここから本郷通りへ出て、東大を抜けて仲御徒町方面へ下っていく後半ルートです。
東京大学といえば旧帝大と思いきや、明治維新後に東京大学として設立された後、帝国大学と改称されたようです。

とにかく敷地が広くて、歩き甲斐があります。根津神社から坂を登って本郷通りに出ると、赤レンガの塀が外界と遮断するように長く続き、ようやく正門へ。
正門を抜けると銀杏並木が続き、両サイドにはゴシック様式の建物が並び、自然と視線を向けたくなるアーチ状のトンネルのような通りが延びていくのは、うまい設計だと感心。

そして、さらに歩を進めると安田講堂が立派にそびえています。
安田講堂といえば、1969年の東大紛争。医学部の授業料値上げに反対する学生たちに、全共闘の武闘派が合流し、安田講堂を占拠。3日間に渡って機動隊との戦いを続けた歴史的な事件でした。当時まだ中学生だった私には知りませんが、後になって戦った先輩との出会いもあって、過去のこととして知ることになります。
外壁をよく見ると、当時の戦いの痕跡らしきキズ跡も見え、半世紀前の空気がまだあたりに漂っているような感じが充分にします。
今は、地下が学生食堂になっていて、低い天井の中で学生たちが食事をしたり勉強をしています。
残念ながらこの日は講堂内でセミナーが開かれていて、入ることはできませんでした。

安田講堂を右手に折れると、大きな銅像があり、その裏手に坊っちゃん池。
その銅像が誰かと言うと、東大設立に尽力された濱尾新先生とあります。初めて聞く名前です。
早稲田は大隈重信、慶応は福沢諭吉と設立者は知られているけど、東大の設立者は?と聞かれてもなかなか出てこないのも不思議な感じです。

東大を出るとすぐに湯島聖堂の裏手へ。
その前に古くて大きなビンテージマンションがあり、その裏手に旧三菱の岩崎邸が保存されています。かつては今の敷地の3倍ほどはあったというから、さすが三菱岩崎家ですね。9月の台風24号の強風でよく壊れなかったなと感心しながら夕暮れの中、今日の散歩は終了しました。