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あと何年来ることができるのか。
東京の、首都圏の胃袋を支える築地市場へ。

築地

間もなく豊洲に移転する築地卸売市場を訪れた。同世代の東京育ちのクリエイターたちとともに築地界隈を巡ってみた。
江戸時代初期に埋め立てられたのが築地。
江戸時代、度重なる市中の火事で消失してしまった本願寺を現在の場所に移転するために埋め立てられたのが築地で、築地という言葉は埋立地という意味らしい。すでに徳川幕府から漁業権を得て魚河岸を営んでいた佃の漁民たちが大変な埋め立て工事に取り組み、その時に創建されたのが市場内に残る波除神社。荒れる海を鎮めたということから、漁業の神様として祀られている。
佃で営んでいた漁民たちも本願寺裏のエリアで魚河岸を営むようになり、南小田原町という町名が残っていることからも小田原から魚を仕入れていたようだ。佃島や小網町という漁師ゆかりの地名が残されているのも、日本橋魚河岸を中心にこの辺り一帯が魚河岸として江戸の反映を支えていたことが推測される。このようにして江戸時代から築地周辺は本願寺と魚河岸で栄えていた。

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また、築地市場の近くには明治維新以降の開国の歴史の足跡も多く残されている。勝鬨橋のたもとには勝海舟が先生役を務めた軍艦操練所の跡地があり、また日本で最初に建てられた西洋様式のホテル、築地ホテル館も市場内にあったとされる。
二枚目の写真は勝鬨橋記念館の中。橋を開閉する捜査室の中が見学できる。写真左は写真家の永嶋勝美さん。

移転を控えた巨大市場。
この築地市場も間もなく豊洲に移転することが決まっている。長年東京、そして全国の胃袋を満たすための市場として活躍してきたが、たしかに場内市場を歩いてみると、施設の老朽化が早々進み、夏は冷房もなく、冬は暖房もないので衛生面での不安はある。もし火事などが発生したら避難や消火などの面では相当の不安があることは間違いない。そのおおもとは江戸時代に作られたものなので、老朽化も仕方がない。お正月以外は休むことなく営業を続けてきていることもすごい。
我々が美味しい魚やお寿司を食べることができるのも、この巨大市場があるおかげだ。食べるという意味では、我々は全員当事者と言える。当事者の立場で考えれば、新しい市場を作り、移転することは現実的だろう。たしかに今の市場は世界的にも認知され、観光資源としても魅力は大きい。しかし、ここにそのまま建て替えるためには数年間は建て替えという難事を乗り越えなければならない。
江戸時代に作られた市場の基盤。今、その江戸の姿が大きく変わろうとしている。この風景はもう見ることができなくなる。

2014年1月
Cover Photo:Yoshifumi Ogawa
Gallery Photo & Text:Hideo Miyazaki