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白い石の山。
初めての有田の町は、歴史ある窯元で地元食材だけのフレンチを一夜限りで楽しむ、そんな贅沢なひと時を過ごすことができた。しかし、有田の町のルーツを見ないことには有田に来たとは言えないので、翌日の朝早く、有田の町を散策してみた。
まずはこの地で初めて磁器を作るきっかけとなった磁石の山へ行ってみた。1616年に朝鮮から渡ってきた陶工、李参平がこの山の石を見つけたことからすべてが始まったということらしい。今ではすっかり山が削り取られてしまっているが、おそらく400年前は大きな山があったのだろうということは推測できる。
泉山と呼ばれるこの地区の磁石場は、有田の町の中心地から緩やかな山を登るように北東部へ行ったところにある。当時はおそらく深い山の中だったと思うが、この石の山こそ、日本磁器発祥の地である。石切場へと続く道には、白い石が転がっていた。

有田の人から聞いたお話しの中で、「実は有田は水がきれいで、その源泉は竜門峡と呼ばれる渓谷の風景を見れば分かる。そこはまるで中国の山水画のようだ。」と聞いていたので、竜門峡ダムにも行ってみた。
たしかに中国の険しい山々の風景に似て、この辺り一帯は石の山でできていることがよく分かる。地質学的なことは分からないが、熊本地震の時も窯元のある有田の町はそれほど揺れなかったので、製作中の器も割れることはなかったとのことだ。古くから自然災害も少なく、焼きものを作るには適した土地柄だったのだろう。ちょっと余談だが、このきれいな水で育った鯉が有田の名物料理だという。

こちらは町の中ほどにある陶山神社。境内からは有田の町を望むことができる。

憧れの青花のしん窯へ。
実は、我が家では昔から「青花」の有田焼のお皿が数多くあり、いつかは有田の「青花」の窯元へ行ってみたいと思っていた。今回お邪魔した幸楽窯の5代目当主、松永隆信さんに聞いたら、なんとすぐ近くだという。源右衛門という歴史ある窯も近くで、このあたりの三大名窯として昔から人気の窯だったという。日曜日の朝早くだったので、残念ながら青花の窯にはどなたのいなくて窯元を拝見することができなかった。窯の煙突には「青花」と「しん窯」とも書かれており、窯の名前は「しん窯」でブランド名が「青花」ということらしい。工場の上には歴史のある登り窯があり、青花がそれほど大きくない窯であることが逆に価値を感じさせてくれた。

古伊万里様式の源右衛門窯。
青花のすぐ目の前に、もうひとつの名窯、源右衛門がある。朝9時からギャラリーがオープンしていたので、ゆっくりと拝見し、ひとつおみやげに買った。染付ではなく桜の花の色付けのマグカップで、有田の好きな家内へプレゼントとしよう。
源右衛門窯は260年ほどの歴史があり江戸中期の創業。古伊万里様式を受け継いで、手技を大切に、柿右衛門、鍋島などさまざまな様式を現代に蘇らせることに成功している窯だ。

赤絵付けの柿右衛門窯。
そして、有田の町から南へちょっと外れた地区にあるのが、柿右衛門。1640年創業で、江戸時代初期に赤絵付けに成功したことから始まった窯だ。その様式美は日本の美という他なく、ヨーロッパに名窯にも大きな影響を与えたことは理解できる。きれいに整備された柿右衛門の展示館の庭には庭園内の樹齢ある柿の木から紅葉した葉がはらはらと散り、風情を感じさせてくれた。

毎年春に焼きもの祭りを開催し、その時は大変な人出で賑わう内山地区の町並みは保存地区に指定されていて、明治期頃の雰囲気を残している。どの店にも小さいギャラリーが備えられて、有田の焼きものがショウルームのように飾られている。焼きものを運ぶ自家用車が店の前に付けやすいように、車道とお店の間に歩道と車停めが確保されているので、荷積みや荷降ろしも楽そうだ。ちょうどこの週末、クラシックカー・フェスティバルが開催されていて、クラシックカーが古い町並みに似合っていた。

有田の名窯で行われた「一夜限りのダイニング・ハック」はこちらから。

レポート:TokyoDays宮崎秀雄